大阪拘置所
元勾留者の方より



大阪拘置所にお勤めに行かれた方より情報提供頂きました。大変文章のうまい方です。獄中にもいろいろなドラマがありますね。貴重な情報のご提供、感謝致します。

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平成○年の大阪拘置所での出来事を投稿します。

拘置所は即ち裁判所で判決を言い渡されるまでの間、拘禁される場所であり検事の身柄になります。私が入所中に何度となく検事調べの為に検察庁に連行され検事さんに虚偽の事実を述べた後に接見禁止になり雑居室から独居室に転室になりました。

接見禁止中は面会や手紙のやり取りは出来ません。弁護士のみの面会と手紙の受信.発信だけです。当時、弁護士の話しに、依ると第一公判終了まで接見禁止は取れないとの事でした。私の唯一の楽しみは内妻からの面会と手紙でした

......退屈な毎日を過ごす中とんでもない事が起こりました。

午後11時に執行停止の言い渡しでした。何が何だか分からないままに大阪拘置所を出所し拘置所の前の電話ボックスから内妻に電話すると母が危篤との事でした.....

電話ボックスの中で泣き崩れ内妻の迎えを待ちました.....自由になったとは言え母の危篤を知った時の心情は複雑なものでした。内妻と知人が迎えに来て、行った先は病院でした。私は長男でしたから執行停止で出所できたのですが私が見る物、全てが夢であって欲しいと願いながら母の病室に入りました。

声を掛けても物言わぬ母に泣きながら謝りました。執行停止の期日は四日で危篤状態の母と別れ大阪拘置所に収監されました。その時の状態が泥酔い状態で大阪拘置所の刑務官に襲い掛かりました。その日は保護室に入れられ朝まで拘束着を着せられました。

酒が覚め保護室の壁を見ながら母を思い出し泣いてましたら大阪拘置所の処遇部長と区長等、沢山の刑務官が私の拘束着を外してくれました。私が泥酔い状態で二人の刑務官に怪我をさせた事実を聞かされましたが、覚えてませんでした...勿論、私も怪我をしましたが大阪拘置所の中で示談する事が出来ました。

「君にも悲しい事があった後の事だし君を事件に、するつもりは、ないので君の怪我は君の胸に収めるように...」信じられない事でしたが刑務官等は我々の敵と思って接して来ましたが人間としての扱いに今は感謝の気持ちです。母はその二日後に他界し弁護士の力で再び執行停止で外に出していただきお通夜と葬式を無事に終え大阪拘置所に収官されました。

母が他界した悲しみの中、内妻と 獄中結婚しました。その時の妻の言葉が「あんた、内妻やったら刑務所に行っても格好つけへんやろ!本妻になったから胸張って務めや!」あの時は本当に嬉しい出来事でした。

ああ...大阪拘置所...



刑務所生活