豊橋刑務支所
元受刑者の方より



私は豊橋刑務支所に懲役二年で入所し、一年五ヶ月で先月仮釈放で出てきました。私は刑務所は二回目ですが、二回とも交通事犯だったので最初は千葉の市原刑務所に入りましたが、今回も初犯刑務所に入ったみたいです。

豊橋は名古屋刑務所の支所扱いで、支所というだけあってなにもかもがショボイです。敷地が狭く、グラウンドは一周70Mトラックしか作れないので運動時間に野球をやって、ホームランを二回程打ってしまいました。

舎房の構成は二階と四階に雑居が17部屋で一部屋六人部屋で七人目のベッドが置いてありますが、全く使っていず、ただでさえ狭い部屋でただの障害物にしかなってません。

医務診察では風邪薬と鼻炎の薬が同じ物だったり、歯科治療も抜歯が出来ないし、薬は飲み薬三回分しかくれないし…慰問やクラブ活動や行事(運動会等)もバリエーションがなく味気ないものでした。収容者数や工場の様子は前述の通りです。

私は第一工場でパチンコ台の解体作業に携わり、総班長をやっていて、始・終業点検や業者と搬入や出荷の話をしたり、帳簿の管理や受刑者に作業を指導したりしていました。こんな立場だったので受刑者同士の口論の仲裁に入ることもしばしばありました。口論の原因は、陰口を叩いて本人の耳に入ったり、作業のやり方や、メンチ切っていた等ささいなことばかりですが、正担当の刑務官の時はたいがい握ってます。

また豊橋は二年前ぐらいはイジメがひどく、胃潰瘍がひどくなり名古屋刑務所に移送される人もいましたが、最近はそこまでひどい事はありません。しかし、第三工場は俗に言うモタ工なのもあってか、イジメが横行しているという事を聞きました。もっとも他の刑務所に比べると非常ベルもならないし比較的平和な刑務所でした。私がそう感じるのは私の立場的なものもあったかもしれませんが、人間関係を円滑に保っていたからかもしれません。私は受刑生活中に内妻と別れてしまいましたが、同じ工場や同じ部屋の人に励まされたりして、ずいぶん救われました。

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