富山刑務所
元受刑者の方より



仮名「城崎」様より富山刑務所の情報を提供頂きました。貴重な情報のご提供、感謝致します。なお、旧監獄法時代のお話です。

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私が今まで務めた回数は3回、通算約6年6ヶ月の懲役生活を送っています。

残念ながら(?)監獄法改正後はお世話になっておりませんので、累進処遇などのお話は過去のものになってしまいます。そこら辺を踏まえた上で、ではお話しいたします。

平成8年頃、川越の分類センターから成人扱いで富山県にある富山刑務所に移送されました。罪状は●●で懲役2年です。

2週間の分類考察を経て洋裁工場に降りました。ここ富山は当時1〜8工場の中に洋裁工場が4つ(1、2、6、8)もあり、作っている物はカーテンとか作業用のツナギなどでした。懲罰ばかりで殆どの工場を回りましたが、大体どこもマンガ(基本的にラク)でしたね。4工場が3工場ぶちぬきで木工場、ここでは祭りでつかう御輿をつくってました。かなり出来も良く、出来上がりは娑婆のそれより立派な物でしたね。4工場では木彫り彫刻の職業訓練が行われています。5工場は考察も兼ねた電気部品のモタ工(モタモタやることから年寄りや体の弱い者が多い)、そして残る7工場は金属工場で、アルミ製の門扉のバリ取りと自動車部品のサンダーがけで溶接などはありませんでした。

次に気になる食事ですが、ハッキリいって最悪です。品数も一品少なく、そしてかなりの少量です。食事は初犯なら静岡、再犯なら北海道がオススメです。

現在は分かりませんが仮釈も精々5ピン(刑の5分の1)程度だから、たいした期待は出来ません。

とにかく懲役を努めている者にとって一番辛いのは、自分自身が一切の無力であるという現状です。娑婆で待っている筈の人からの別れや、親族、友人の死など、皆が自分ではどうする事も出来ない虚しさや苛立ちなどを抱えています。

娑婆で待つ人にも様々な苦労があると思いますが、途中で見放す事なく帰りを待っていてあげて欲しいと思いますね。

それと両親や家族からの手紙や面会なども懲役にとっては宝物です。マメに出してあげましょう。



刑務所生活