長野・新潟刑務所
元受刑者の方より



長野・新潟刑務所に二度お勤めに行かれた方より情報提供頂きました。貴重な情報のご提供、感謝致します。

尚、旧監獄法の頃の情報となります。

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長野には、組の代行をめぐり、同組員と殺し会いの喧嘩になり、銃砲刀義務違反で服役しました。私が長野に行った時はまだ長野が類犯刑務所で、入所すると、所持類所持金をしらべ、そのあと、刑務所用の作業服を二着わたされ、そのまま、訓練工場という、工場にうつされました。

その時、訓練工場まで連れていく刑務官に、ある受刑者が入り口で口ごたえしました。すると、訓練工場の官がそいつの胸ぐらをつかみ工場の床になげつけ(やる気あるのか!ここは刑務所だ!と)馬乗りになり、そいつは、びびって、だまってしまいました。

鬼のような、訓練工場を二週関すごすと11工場にわかれているなかの私は3工場に配役、布団を持ち雑居房の前までいき、大きな声で名前言い、部屋に入りました。その部屋で一番古い人が部屋長になっており(部屋によって決り事があります)いろいろ説明されますがいっぺんでは覚えられません。が刑務所はヤクザが仕切っており、看板のある私は(看板ある人いらっしゃいますか?私は?会?組の?です。)と言いそのまま二番席にすわる事になりました。

雑居房では、若い受刑者がはらへったといつも言っているので、私はおかずだけ食べ、麦飯はその子にあげていました。これは刑務所でやってはいけない不正授受であり、見つかると懲罰になります。

そんなこんなのある日、部屋長はある受刑者を暴力でいじめていて、それがバレ、処遇に連れて行かれてしまい、お土産に私の不正授受の事をチンコロ(告げ口すること)され、私は日本一寒い長野(北海道とかならスチームがはいっているので長野が一番寒い)真冬の1月から3月まで、45日懲罰となりました。

懲罰中は朝から晩まで畳二畳の懲罰房、にいれられ、正座して膝の上に手をおき、ぴくりとも動いてはいけません。気が狂いそうでした。まして小指と薬指を詰めている私の指は凍傷になり腫れて、10日に一回ある医務検診では針で血を抜いてもらい特別に包帯をしてもらいました。

マイナス10℃とという懲罰たえ、新たな工場におると、なんとそこには私をチンコロしたやつがいました。探ってみようと思い、運動の時間に聞いたらやはりチンコロしてたので「ぱんつを脱いでそこに立ってろ」というと、組は違うが私の親分と付き合いのあるヤクザが中に入り私は我慢しました。なにしろ、懲役は人間関係の厳しいところです。


刑務所生活