刑罰とは何か
近代学派の誘い



皆さん、犯罪とは何か?刑罰とはそもそも何なのか?何のためにあるのか?

考えたことがおありでしょうか。

なんとなくわかっているような気もする。昔お母さんに、悪いことをすると刑務所に入ると教わった。

でもよくよく考えてみると、皆さん、本当はよくわからないのではないですか?

実はこんな基本的なことにも、いろんな考え方があり、正解は一つではありません。

過去の学者の言葉を一部紹介。なお、これらの考え方は、当サイトの大きな理論的支柱でもあります。

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・犯罪の原因には、人類学的原因のほかに、物理的および社会的原因がある。(Enrico Ferri 1856-1929)

…そもそもなぜ犯罪は生じるのでしょうか。悪い人間がいるから?そこに無知と貧困があるから?人が運命に支配されているから?あるいは他の理由?社会や人間の様々な矛盾・不条理の一番ひどいところに、犯罪が生じます。古いようで、新しいテーマです。

・刑罰は、最後の手段である。(刑法の謙抑性)

…刑罰は個人の人権を大きく侵害します。他の手段で解決できるなら、他の手段で解決すべきであって、安易に刑罰に頼ってはなりません。

・刑罰は、犯罪に対する有力な方法ではあるが、その唯一の方法ではなく、また、最も有力な方法でもない。(Franz v.Liszt 1851-1919)

…例えば、アメリカで銃犯罪をなくすには、乱射事件の犯人を厳罰に処しても駄目でしょう。日本のように銃自体を規制することが、より効果的な方法です。そうすれば、被害者も加害者も減らすことができます。同じことは、他の犯罪についてもいえます。

・最良の刑事政策は社会政策である。(Franz v.Liszt)

…安定した社会になると犯罪は減ります。生活保護を充実すると犯罪が減ります。教育を充実すると犯罪が減ります。経済の調子が良いと犯罪が減ります。銃や刀を減らせば犯罪は減ります。人々の人間性が豊かになれば犯罪は減ります。刑務所で受刑者に適切な処遇をすれば再犯は減ります。こういったことは、皆さんご想像になればおわかりになるでしょうし、過去の統計からも明らかです。

 テレビで犯罪対策といえば「犯人を厳罰にすべき」としかいいませんが、犯罪への最良の対策はそういうことでないことが多いのです。ただそういう話は難しくてコメンテーターがコメントできないし、視聴者ウケもしないから、テレビではあまり放送されません。

・刑罰は国家的なものである以上、原始的・本能的・衝動的な応報観念をもって終始されるべきでなく、それ自体に、必要性と合目的性が具備されねばならない。(Franz v.Liszt)

…国というのは一体何なのか。被害者の代理としてあだ討ちをする存在なのか?それとも公平な第三者として、理性的に問題を解決する存在なのか?

 どちらがより良い社会を作っていくのでしょうか。

・刑罰は教育である。そうでなければ、その存在理由はない。(Vincenzo Lanza ?-1929)

…刑罰とは何なのか?悪いことをした罰か。それとも今後社会に迷惑をかけないようにするための教育か。

 罰だとすれば、刑務所の待遇をもっと悪くしろという話になりがちだし、教育だとすれば、その逆です。

 罰だとすれば、受刑者はただ働かせて紙袋を作らせておけば良いという話になりがちだし、教育だとすれば、受刑者に犯罪を繰り返さないように職に就ける訓練をさせる、まるで刑務所が学校のように、社会の仕組みや規範を学ばせる場所だという話になるわけです。

 日本では、罰だという考え方が伝統的には強かったのだと思います。

 最近は性犯罪者向けの矯正プログラムがやっと導入されましたが、それはつい最近のことです。つまり、今までは性犯罪者を、他の受刑者同様、ただ何年か紙袋やテーブルを作らせ、それで釈放していたのです。罰を与えることが目的になっていて、教育して改善し、全うに社会復帰させようという発想が足りませんでした。これでは再犯が繰り返されるのも当然ではないですか。「再犯率が高いから厳罰化しよう」などと素人発想に陥る前に(実際上/統計上、厳罰化しても再犯率は下がらないという有力な分析があります)、できることはまだまだ沢山ありそうです。

 欧米では、比較的教育という考えが強く、刑務所の待遇はいろいろな点で自由が多いですし、日本のように刑務作業で紙袋作りばかりではなくて、矯正教育に力点があります。例えば、飲酒運転で事故を起こしたものには、飲酒運転者用のプログラムがあるのですが、このプログラムが刑罰の代わりになっています。裁判で裁判官が「懲役何年に処する」という代わりに、「飲酒運転者用プログラム3ヶ月」と刑を宣告するわけです。刑罰として刑務所に行かず、学校に行くわけです。もはや「刑=刑務所」ではなくなっているのです。刑罰といえば刑務所で毎日ただひたすら紙袋を作らせることしかない日本と、どちらが合理的でしょうか。

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 ところで、近年、死刑廃止国が増加しています。

 世界の半分以上の国では、既に死刑制度が廃止されました。国連は、死刑をやっている国に対し、死刑を止めるよう求める決議を行いました。

 死刑といえばあって当たり前というのが多くの日本人の常識です。しかしそれは実は世界では非常識になりつつあります。ドイツやフランスでは、どんな凶悪犯でも、死刑にはしません。多くの国では終身刑もありませんから、数十年で出所になります。

 多くの日本人の常識からすれば、なかなか理解ができないことだと思います。しかしそれは、このページの赤字の言葉のように、何世紀も前から理性的な議論を続けた彼らがたどり着いた、一つの合理的な帰結なのです。

 このように、刑罰の形は、より理性的に、より合理的に、常に変わっています。特に欧米は、どんどん試行錯誤して、より良いものを目指しています。日本でも少しずつかわっていますが、まだまだ遅れているというのが私の感想です。

 より良い社会を作るためには、より良い刑務所が必要です。良い刑務所を作るには、現場職員や法務省の努力と国民の理解が必要です。良い刑務所を作り、より良い日本になるようにしていきたいものですね。



刑務所生活