社会の意識を問う



さて、今まで、刑務所の目的が、受刑者の社会復帰であること、を説明してきました。

しかし一般には、この目的自体に異論がある方がかなりいるのが現実でしょう。

たとえば、受刑者が社会復帰を望むなどおこがましい、とか、罪を犯した者に社会復帰させる必要があるのか、と、なんとなく思っている人も多いでしょう。

受刑者が刑務所で社会復帰を目指し、更生しようとし、刑期を終え、いざ社会復帰をする時に、改めてぶつかる壁がそこにあります。

『前科者』『犯罪者』

隠そうとしてもなかなか隠し切れず、受刑者が一生言われ続ける言葉です。

社会は前科者に対して非情です。職はなかなか得られません。結婚も難しい。親類にすら恥の扱いです。

前科者を受け入れてくれる所は、限られます。そうすると受刑者は、結局社会の影の部分に吸い込まれていくことになります。

そうして、かつて刑務所で更生と社会復帰を目指した人間が、また犯罪を犯すことになるのです。

ここには、人種や障がい者,部落の問題にも共通する、差別の問題があります。

差別意識と言うのは、誰にでもあるものです。

けれどそれは必ずどこか不合理な所があります。犯罪が増えれば,困るのは我々ひとりひとりです。

より良い社会を作っていこうとするのであれば、社会全体でこれを乗り越えていかなければなりません。

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様々な過ちや不運・不幸の結果、犯罪を繰り返してしまった者がいるとしましょう。

その者に、「再犯をしたお前が悪い」というのは簡単です。確かに犯罪を繰り返した者は悪いです。

しかしそこには、人間が犯罪へと至る原因を、その個人だけに帰す誤解もあるのではないでしょうか。

再犯者を責めるなといっているわけではありません。ただ、個人を責めるだけでは、問題は解決できないのです。

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よく、犯罪が生じ、犯人が逮捕された時、「これで犯罪は解決した。よかったですね」といいます。

確かに、犯罪を犯した人間に刑罰を与える、それだけの意味では、犯罪は解決しました。

ところが、本当に犯罪は解決したのでしょうか?

明日また、同じところ、あるいはどこか別のところで、同じような犯罪が起きるのではないのでしょうか?それなのに、どうして「犯罪が解決した」といえるのでしょうか。

人間が犯罪へと至るには、その者の周囲の、環境、人間、教育、経済、広く言えば社会全体に、原因があります

一番大切なのは、社会の改善です。貧困や無知をなくし、福祉を整え弱者を支えて、犯罪が生じにくい社会を作ることです。

過去、そのことによって、日本あるいは世界は、犯罪を減らしてきました。

例えば,戦後,日本は今より何倍も犯罪が多い時代がありました。

当時にくらべ,日本が豊かになり,教育も行きわたり,社会福祉も充実しました。それに反比例して,犯罪は激減しました。

社会の改善、これこそが真の意味での「犯罪の解決」なのです。

人は往々にして憎しみに囚われます。特に、目先の生意気な犯罪者は憎々しい。

しかし、仮に犯罪者を死刑にしたとしてすら、犯罪者にだけでなく社会全体に人を犯罪へと導く原因が潜んでいる限り、明日どこかでまた別の同じ犯罪が起こり、悲劇が絶えることはないのです。

罪の根源は、社会全体に潜んでいる。時に、罪はあなたのまわり,日常生活の中にすら。

そのことに気づいたとき、人を憎まずして罪を憎むべきことの、本当の意味を、理解できるかもしれません。

罪ヲ憎ンデ人ヲ憎マズ。汝、汝ノ隣人ヲ愛セヨ。

刑務所生活